日本キリスト教団

余市教会

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余市教会とは

◎余市教会の歴史

1885年、キリスト教の1教派であるメソジストが、小樽に講義所を開き、山田源次郎牧師が、
余市、市来知(岩見沢と美唄の中間)まで伝道に出かけたことが教会の出発となりました。

1892年、伊藤実之助牧師の時に、大川町に余市講義所が建設されました。

その後、長崎勝三郎牧師、工藤官助牧師の期間を経て、
1915年、谷田一郎牧師の時に、大川町に新たな講義所を建設します。

1925年からは伏木三郎牧師が専任牧師に就任し、
1926年、大川町に木造の教会堂を建設しました。

伏木牧師が岩見沢教会に転任後は、藤井柳一牧師、谷口義雄牧師、奥村ちよ牧師と交替しつつ、
歩みが続けられてきました。

そして、日本の敗戦後、1946年に再び伏木三郎牧師が就任し、
日本基督教団余市教会として宗教法人設立の登記をするに至りました。
伏木牧師在任中の1950年には、余市幼稚園(現在のリタ幼稚園)が設立されました。

1960年からは吉岡一牧師が就任します。
1961年1月17日、竹鶴リタさん(ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏の妻)が召天します。
当日の朝、ご子息・竹鶴威さんとニッカ工場長が牧師宅を訪ねて来られ、吉岡牧師に葬儀の依頼がありました。
吉岡牧師は、役員会のメンバーと話し合い、葬儀を引き受けることになりました。
リタさんの葬儀を吉岡牧師・余市教会に依頼したことにはいつかの理由がありました。
 1.リタさんが生前新任の牧師(吉岡牧師)に会いたいと言っていたこと。
 2.リタさんが幼い頃、キリスト教の洗礼を受けていたこと。など

葬儀の一切は、吉岡牧師に一任されます。リタさんの葬儀は、山田町の自宅で執り行われ、
お家の前から100㍍にわたって、花輪が並びました。
それだけ、リタさんは様々な人々に愛されていた方であったのです。
当時の教会そして、吉岡牧師としては、クリスチャンであったリタさんの葬儀を通して、
地域の方々や葬儀に参列した方々に、キリスト教のことを知ってもらうチャンスを与えていただいた
と考えていました。そのため、竹鶴さんより謝礼の話が出た時には、「謝礼は受け取らない」という
ことにしたのです。
しかしながら、竹鶴さんとしてはそれで収める訳にはいかないということで、
最終的には、吉岡牧師が願っていることを応援しようということになりました。
その当時、一番の願いは、木造で戦争や台風で老朽化し、傷んでいた教会堂と幼稚園を
新しく建て直すことでした。

そして、竹鶴さんや地域の様々な人々の働きと協力によって、現在の黒川町の土地を取得し、
教会と幼稚園の建てるに至りました。
その時に、土地と建物あわせて、720万円がかかったのですが、そのうち120万円を竹鶴氏より
寄付していただきました。
その寄付は、リタさんの遺産の一部でした。
そうしたことに感謝を込めて、1962年8月26日に、教会臨時総会を開催し、
余市幼稚園を「リタ幼稚園」と名称変更しました。

その後、大野道夫牧師、大須賀豊稚牧師、高橋陽一牧師・高橋麻衣子牧師の時代を経て、
現在は小西陽祐牧師が余市教会の牧師として働いています。